
― 赤ちゃんのねんねと、暮らしの中の小さな気づき ―
梅雨は続きますがこれが終わると夏の暑さがやってきますね。
ただ夜になると、私は夏の夜の虫の音が好きです。
窓の外から聞こえるコオロギの声を聞いていると、なぜか気持ちが落ち着きます。
雨の日も同じです。
雨音を聞いていると、いつもより深く眠れる気がします。
そしてもうひとつ、不思議な記憶があります。
子育てをしていた頃、なぜか玉ねぎを炒めた日の方が、息子がよく眠るような気がしていました。
もちろん、それに科学的な根拠があるかは分かりません。
でも「眠り」というものは、単純に室温や湿度だけで決まるものではないのかもしれない、と感じるようになりました。
睡眠は「正解」があるものではない
赤ちゃんの睡眠について調べると、
- 昼間の過ごし方
- 生活リズム
- 光や音の環境
- 親の心の状態
など、さまざまな要素が関係していると言われます。
でも実際には、「これをすれば必ず眠る」というものはありません。
その子の個性や、その日の状態によっても変わっていきます。
だからこそ、睡眠はとても繊細で、そして奥深いものだと感じます。
夜泣きは「問題」なのか
振り返ると、私は息子の夜泣きをあまり深刻な問題として捉えていなかった時期がありました。
もちろん大変な夜もありましたが、どこかで「これはずっと続くものではない」
という感覚があったからかもしれません。
それに、「そうやって親になっていくもの」という母からの言葉があったせいかぐずっても何をしても「お母さんは強いんだから任せろ」みたいな気持ちに余白がありました。
逆に、もし「ちゃんと寝かせなければいけない」「これは問題だ」と強く思っていたら、もっとしんどく感じていたかもしれません。
夜泣きがあったのかもしれないけれど私がそう思っていなかっただけかもしれませんが。
アメリカで出会ったある言葉
20代の頃、アメリカでベビーシッターをしていたときのことです。
公園で近所のおばあさんが、おむつをした4歳くらいの子どもを私が不思議そうな目で見ていたことに気がついてこう言いました。
「小学生になってもおむつをしている子はいないわ。母乳もそうよ。夜泣きもずっと続くものではないの。あんまり心配しすぎてもよくないわ」
そのときは少し驚きましたが、その言葉はずっと心に残りました。
そして、自分が親になったとき、その考え方がどこかで支えになっていたのだと思います。
比較されることで、不安は大きくなる
日本では、どうしても
- いつおむつが外れるか
- いつ夜通し寝るか
- いつ母乳をやめるか
といった“目安”が意識されやすい場面があります。
それ自体は悪いことではありませんが、
その目安と比べることで、不安が大きくなることもあります。
本来は健康上の問題ではないはずの夜泣きが、
「遅れているのではないか」という不安に変わってしまうこともあります。
私がしていた小さな工夫
今思い返すと、私は眠るためにいくつかの工夫をしていました。
ヒーリングCDを流したり、水フィルターの空気清浄機をそばで使ったり。
100均のお風呂グッズで早風呂を防ぐ工夫をしたり。
今ではYouTubeで雨音や自然音を流したり、
寝室は電球色を中心にし、ほとんど間接照明で過ごしたり。
必要な場所だけ昼白色を使い、
それ以外はできるだけ柔らかい光にしています。
また、眠る前の香りを整えたり、
布団にはリネンスプレーを軽く使ったりもしていました。
それは「完璧な環境を作るため」というより、
気持ちを切り替えるための小さな習慣だったのかもしれません。
光・音・匂い、そして気持ち
人は、光や音、匂いといった環境の影響を受けながら生活しています。
雨音や虫の声が心地よく感じられるのも、
そうした自然な感覚のひとつなのかもしれません。
ただ同時に、それと同じくらい大切なのは、
その場にいる人の心の状態だと感じることもあります。
家の工夫と、親のマインド
家の工夫だけでも、親の気持ちだけでも足りない。
どちらか一方ではなく、両方が少しずつ整ったときに、
ようやく眠りやすい暮らしが生まれるのかもしれません。
- 光を整えること
- 音を整えること
- 温度を整えること
そして同時に、
- これはずっと続くわけではないと思えること
- 今の状態を少し客観的に見られること
その両方が重なったとき、
少しだけ暮らしは軽くなる気がします。
最後に
これは「こうすれば良い」という話ではありません。
あくまで一つの視点です。
もしこの文章を読んで、
「自分は今、何を一番気にしているんだろう」と
少しでも立ち止まるきっかけになれば、それだけで十分です。

投稿 星村
